古代中世北欧考察メモ3 - 2011.05.16 Mon
今日は『古代中世における北欧の英雄』についてメモろう。
昨今の日本での英雄譚といえば、凡々な主人公が雑草魂を発揮して成り上がっていくパターンがよく見受けられる。だが北欧の英雄にそのような主人公は数少なく、詩に残されているほとんどの英雄は良家で生まれたリア充である。
その理由は……うーん、なんだろう。
考えられるのは戦の方式や封建的な主従関係、さもなきゃ政治的な思惑でも絡んでいたのだろうか。
とか考えながら国会図書館でデンマーク人の事績を読んでいたら、その理由を簡潔に表せる言葉があった。
『金銭は兵士に、名誉は指揮官に与えられねばならぬ』
なるほど。戦の名誉自体が指揮官、つまり王や首領に与えられるのを常としていたのですな。
兵士ももちろん名誉のために戦ってはいたけど、それよりは与えられる褒美のほうに意識があったようです。
兵士が偉大なる勝利をもたらした指揮官に歌を捧げ、それが後世の英雄伝説として残るパターンが多かったのかしら。
英雄というものの条件に、まず高貴な身の上であることが求められていたことも要因だろう。
ある時、スウェーデン王家の娘グローは不釣合いな身の上の者と婚約したのだが、それを聞いたデンマークの王族のグラームは、「王家の血にふさわしくない縁組など許せるか! 俺がでていってぶっ壊してやる!」と出て行って見事にぶっ壊しやが……、破談にしていた。
しかもグローを寝取ったうえでスウェーデン王を殺しているのだから素晴らしい手際である。
グローはグローで「あんな獣みたいな下賎な相手はいや! あんなのと婚約して嬉しいわけないじゃない!」と
変装してスウェーデンにやってきたグラームに暴露し、グラームが変装を取ってそのハンサム顔を晒すや、
「やだ……かっこいい……」と喜んで彼の胸に飛び込みやがっている。
いや待てよ。ちょっと待てよ。いくらその婚約相手が野蛮人でも、王様に認められるほどの誉れをもち、娘をくれてやるまでの信頼を置かれた相手と違うんかい。
身分不相応ってだけでここまでのことをされた婚約者の消息はなんと不明。死んだかどうかすらわからない。
記す価値もなかったってことなんだろうか。
それともグラームが一連の行動をする途中で殺した盗賊がそうだったってオチなのだろうか。
ともあれ、どれだけ力や誉れがあろうと、『血の高貴さ』がなければ英雄とは認められなかったようだ。
この感性が北欧の英雄像に影響を及ぼしていたことは火を見るよりも明らかでしょう。
仮にパンピーの英雄賛歌があったとしても、「そんな下賎な英雄など俺が認めん!」とグラームみたいな人がやってきて、命をかける戦いが発生していたのは間違いない。
ちなみに、このグラームの家臣にベスという人がいるのだが、彼は立派な功績を残してグラームのお下がりを嫁に貰っている。その描写に「身分を弁えなさいよ。そうすりゃいいことある」という意図を感じるのは気のせいだろうか。
では雑草が英雄となるにはどうすればよかったのか。
幾らかの話を見ていくに、やっぱり戦うしかないようである。
戦争に行って功績を立て、さらには名誉の家系のお偉方をも斬り倒し、
その復讐にやってきた者たちをも叩き伏せ、戦って、戦って、誰もが認める危険やピンチを乗り越えたとき、
雑草はようやく英雄の樹になることを許された。
こうして書いた道は相当に辛い道ものである。
血の復讐はそれこそひとつの一族をまるまる敵に回すようなもので、
倒した相手が高貴であればあるだけ御し難い数の敵に襲われることとなる。
さらには復讐の念がその一族の友人関係にまで広がることもあったし、
雑草がその身で成り上がるには、想像を絶するような窮地を乗り越えていかねばならなかったはずだ。
これを乗り越えて名を残した英雄の数はとても少ない。
少ないが、この条件下で例があるだけでもすごいことだと思う。
この時代、真に英雄と呼ばれるにふさわしいのは、こうして成り上がった雑草なのかもしれない。
昨今の日本での英雄譚といえば、凡々な主人公が雑草魂を発揮して成り上がっていくパターンがよく見受けられる。だが北欧の英雄にそのような主人公は数少なく、詩に残されているほとんどの英雄は良家で生まれたリア充である。
その理由は……うーん、なんだろう。
考えられるのは戦の方式や封建的な主従関係、さもなきゃ政治的な思惑でも絡んでいたのだろうか。
とか考えながら国会図書館でデンマーク人の事績を読んでいたら、その理由を簡潔に表せる言葉があった。
『金銭は兵士に、名誉は指揮官に与えられねばならぬ』
なるほど。戦の名誉自体が指揮官、つまり王や首領に与えられるのを常としていたのですな。
兵士ももちろん名誉のために戦ってはいたけど、それよりは与えられる褒美のほうに意識があったようです。
兵士が偉大なる勝利をもたらした指揮官に歌を捧げ、それが後世の英雄伝説として残るパターンが多かったのかしら。
英雄というものの条件に、まず高貴な身の上であることが求められていたことも要因だろう。
ある時、スウェーデン王家の娘グローは不釣合いな身の上の者と婚約したのだが、それを聞いたデンマークの王族のグラームは、「王家の血にふさわしくない縁組など許せるか! 俺がでていってぶっ壊してやる!」と出て行って見事にぶっ壊しやが……、破談にしていた。
しかもグローを寝取ったうえでスウェーデン王を殺しているのだから素晴らしい手際である。
グローはグローで「あんな獣みたいな下賎な相手はいや! あんなのと婚約して嬉しいわけないじゃない!」と
変装してスウェーデンにやってきたグラームに暴露し、グラームが変装を取ってそのハンサム顔を晒すや、
「やだ……かっこいい……」と喜んで彼の胸に飛び込みやがっている。
いや待てよ。ちょっと待てよ。いくらその婚約相手が野蛮人でも、王様に認められるほどの誉れをもち、娘をくれてやるまでの信頼を置かれた相手と違うんかい。
身分不相応ってだけでここまでのことをされた婚約者の消息はなんと不明。死んだかどうかすらわからない。
記す価値もなかったってことなんだろうか。
それともグラームが一連の行動をする途中で殺した盗賊がそうだったってオチなのだろうか。
ともあれ、どれだけ力や誉れがあろうと、『血の高貴さ』がなければ英雄とは認められなかったようだ。
この感性が北欧の英雄像に影響を及ぼしていたことは火を見るよりも明らかでしょう。
仮にパンピーの英雄賛歌があったとしても、「そんな下賎な英雄など俺が認めん!」とグラームみたいな人がやってきて、命をかける戦いが発生していたのは間違いない。
ちなみに、このグラームの家臣にベスという人がいるのだが、彼は立派な功績を残してグラームのお下がりを嫁に貰っている。その描写に「身分を弁えなさいよ。そうすりゃいいことある」という意図を感じるのは気のせいだろうか。
では雑草が英雄となるにはどうすればよかったのか。
幾らかの話を見ていくに、やっぱり戦うしかないようである。
戦争に行って功績を立て、さらには名誉の家系のお偉方をも斬り倒し、
その復讐にやってきた者たちをも叩き伏せ、戦って、戦って、誰もが認める危険やピンチを乗り越えたとき、
雑草はようやく英雄の樹になることを許された。
こうして書いた道は相当に辛い道ものである。
血の復讐はそれこそひとつの一族をまるまる敵に回すようなもので、
倒した相手が高貴であればあるだけ御し難い数の敵に襲われることとなる。
さらには復讐の念がその一族の友人関係にまで広がることもあったし、
雑草がその身で成り上がるには、想像を絶するような窮地を乗り越えていかねばならなかったはずだ。
これを乗り越えて名を残した英雄の数はとても少ない。
少ないが、この条件下で例があるだけでもすごいことだと思う。
この時代、真に英雄と呼ばれるにふさわしいのは、こうして成り上がった雑草なのかもしれない。
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もう夏ですね - 2011.05.08 Sun
大帝国が発売されたり、ふたば学園祭が開催されたりと、
四月末から忙しなくも楽しかったです。
学園祭ではもーすさまじい勢いでお酒も呑みまして。
えらい楽かった……。こういうことがあるたび元気もらいます。
来年まで生きてたら今度はちゃんと午前中からイベント参加したいですね。
ラクガキぽっぽぽー。

お久しぶりに描いた脳内エルフ。
頭の飾りが前々から無理のある形だったからヘルメット型に変更したりちょこちょこ変えてる感じ。
服装も一から考えなおして、そのうち全体絵を描いてあげたい。
それにしても首から下が適当すぎる。
エルフの小説もぽてぽて書いてますが、今は書いてはポイの繰り返しです。
冬までに書けるのかこれ。無理……、いや、なんとかするしかない。
四月末から忙しなくも楽しかったです。
学園祭ではもーすさまじい勢いでお酒も呑みまして。
えらい楽かった……。こういうことがあるたび元気もらいます。
来年まで生きてたら今度はちゃんと午前中からイベント参加したいですね。
ラクガキぽっぽぽー。

お久しぶりに描いた脳内エルフ。
頭の飾りが前々から無理のある形だったからヘルメット型に変更したりちょこちょこ変えてる感じ。
服装も一から考えなおして、そのうち全体絵を描いてあげたい。
それにしても首から下が適当すぎる。
エルフの小説もぽてぽて書いてますが、今は書いてはポイの繰り返しです。
冬までに書けるのかこれ。無理……、いや、なんとかするしかない。