ラクガキしただけ - 2011.04.25 Mon

エロゲーのサイトが更新するまでに描いたお暇つぶし。
この前からちょいちょい絵柄を変えようとしているものの、
他人を真似て描けば描くだけコレジャナイ現象とバランストレナイ現象に巻き込まれ……。
絵柄を変える必要はないといえばないんだけど、
今のままだと全身のバランスをとるのが至難の技で困る。
話変わって、そろそろ今期放送のアニメも出揃いましたね。
今期NO1ロリは間違いなくあの花のめんまちゃんですのでみんなも視聴しよう!
あとは花咲くいろは、シュタゲ、日常辺りがお気に入り。
そして忘れるなかれDOGDAYS……はもちっとお色気とかキャッキャウフフしてくれないかしら。
エクレールがダントツでいじられてて嬉しいんだけどまだまだ足りないヨ!
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古代中世北欧考察メモ2 - 2011.04.23 Sat
中世の話も多くなりそうなので若干題名を変えてみる。
今日は『中世初期の北欧の家族』にでも触れてみよう。
中世初期の北欧民にとって、家族は他のなによりも尊重すべきコミュニティであった。
家族とは争わない、肉親は裏切らない、縁者に犯罪はおこなわない。
親は子を手塩にかけ、子は親を敬い、兄弟同士は支えあう。
家族を侮辱する者あらばぶっ殺す。誰がが殺られたならば殺り返す。
その結果、個が滅ぼうとも、家が残ればそれでよし。
どこか病的なほど、彼らは血族の名誉と繁栄、そして平和にこだわっていた。
それは、そうする必要があったからだし、家族がかけがえのなさすぎるものだったからとも言える。
必要という面から考えると、そもそも家族を通してでなければ、個はなんの人生活動をすることもできなかった。
仕事は家族の繁栄のためにするものだったし、結婚も家を通してでなければ行えず、
親からの財産譲渡がなければマイホームの生計を立てることもままならない。
仕事、結婚、財産、生活。そのすべてが家族に依存していた。
(財産は略奪で増やすことができ、そうすることで綺麗な奥さんを得るチャンスも増えたけれど、
それも家族という輪に属してなければ意味のない功績だった)
家族を裏切り、その依存を失った者の末路は悲惨であった。
家族の庇護をなくすということは、文字通りその人間の価値が体ひとつしかなくなることを意味している。
だから、罪を犯して里を追放された日には、賊か奴隷として生きるしかなかった。
奴隷がどのような扱いを受けるかは言うまでもなく、賊になったところで末路など知れている。
追放者にもはや一日の平和も与えられず、生涯の終が訪れるまで危険と隣り合わせで生きることとなった。
家族の庇護もなく、家族も作れず、安穏とした日々を送ることも、名誉を立てることもできない。
それは、彼らにとっての絶望である。本当にいっぺんの希望もない。生きる目的すらもない。
そうならないためには、家族との関係を良好に保つ他なかった。
んでも、必要とか関係なしに、家族が大事っていう想いもあったように感じる。
だって家族だもんね。人生のなんもかんもを共にする相手だもんね。
単純に情ある相手と喜びを共有したくて頑張ってる面もあるよこの人たち。
逆に家族に恨みつらみを持つこともあったでしょう。
関係がどうしても上手くいかないことだってあるから、いわゆる身内の恥が生まれてしまう。
でも、そっちの感情だってとにかく全力。命をかけて「この野郎ゆるさん!」って恨みをぶつけてる。
好意でも悪意でも、家族にはでっかい感情を持っていた。
そんなに強い思いを持てる相手がいるってこと自体、なんだか羨ましい気もする。
なんかまとまらないので今日は終わり。
家の規律や、それが後世にどう作用したのかといったことを、後日にまとめ直す必要がある。
今日は『中世初期の北欧の家族』にでも触れてみよう。
中世初期の北欧民にとって、家族は他のなによりも尊重すべきコミュニティであった。
家族とは争わない、肉親は裏切らない、縁者に犯罪はおこなわない。
親は子を手塩にかけ、子は親を敬い、兄弟同士は支えあう。
家族を侮辱する者あらばぶっ殺す。誰がが殺られたならば殺り返す。
その結果、個が滅ぼうとも、家が残ればそれでよし。
どこか病的なほど、彼らは血族の名誉と繁栄、そして平和にこだわっていた。
それは、そうする必要があったからだし、家族がかけがえのなさすぎるものだったからとも言える。
必要という面から考えると、そもそも家族を通してでなければ、個はなんの人生活動をすることもできなかった。
仕事は家族の繁栄のためにするものだったし、結婚も家を通してでなければ行えず、
親からの財産譲渡がなければマイホームの生計を立てることもままならない。
仕事、結婚、財産、生活。そのすべてが家族に依存していた。
(財産は略奪で増やすことができ、そうすることで綺麗な奥さんを得るチャンスも増えたけれど、
それも家族という輪に属してなければ意味のない功績だった)
家族を裏切り、その依存を失った者の末路は悲惨であった。
家族の庇護をなくすということは、文字通りその人間の価値が体ひとつしかなくなることを意味している。
だから、罪を犯して里を追放された日には、賊か奴隷として生きるしかなかった。
奴隷がどのような扱いを受けるかは言うまでもなく、賊になったところで末路など知れている。
追放者にもはや一日の平和も与えられず、生涯の終が訪れるまで危険と隣り合わせで生きることとなった。
家族の庇護もなく、家族も作れず、安穏とした日々を送ることも、名誉を立てることもできない。
それは、彼らにとっての絶望である。本当にいっぺんの希望もない。生きる目的すらもない。
そうならないためには、家族との関係を良好に保つ他なかった。
んでも、必要とか関係なしに、家族が大事っていう想いもあったように感じる。
だって家族だもんね。人生のなんもかんもを共にする相手だもんね。
単純に情ある相手と喜びを共有したくて頑張ってる面もあるよこの人たち。
逆に家族に恨みつらみを持つこともあったでしょう。
関係がどうしても上手くいかないことだってあるから、いわゆる身内の恥が生まれてしまう。
でも、そっちの感情だってとにかく全力。命をかけて「この野郎ゆるさん!」って恨みをぶつけてる。
好意でも悪意でも、家族にはでっかい感情を持っていた。
そんなに強い思いを持てる相手がいるってこと自体、なんだか羨ましい気もする。
なんかまとまらないので今日は終わり。
家の規律や、それが後世にどう作用したのかといったことを、後日にまとめ直す必要がある。
エルフメモ1 - 2011.04.19 Tue
北欧の神話や伝承は、現実の起きた出来事、現実にいた人物という元となったモチーフがあり、
それを美化して記したものである。と、以前寄稿した同人誌に書いたことがある。
僕はこの考えをもとに、エルフの元ネタを日々探っているのだが、
今日はあるひとつの可能性を思い至った。
それは、エルフの元ネタは中世北欧に住んでいたひとつの一族だったのではないか、ということだ。
※エルフの元ネタといっても、北欧神話時代になってからのエルフのことを考えています。
ゲルマン起源のもっと古いエルフの元ネタなんかはわかりません。
なんでこれを今まで思いつかなかったのか我ながら不思議だ……。
考えてもみれば、アース神族にしろヴァナ神族にしろモチーフの一族があるのだから
エルフにも元となった一族があって然るべきである。
さて、その元となった一族を探るためのキーワードは“見立て”である。
300のクセルクセスではないが、北欧でも人物を神やその使者に見立てることがあった。
例として、フンディング殺しのヘルギは、家族に争いの種を持ち込んでしまった妻シグルーンに
『あなたはわたしたちにとってのヒルドだったのだ。王たちだとて運命には勝てぬ』
という慰めの言葉をかけている。
(ヒルドとはヴァルキューレのことで、その役割は戦士たちをヴァルハラ(あの世)に連れて行くこと)
ヘルギがシグルーンをヒルドに見立てたように、誰かしらからエルフと見立てられた者たちがいたとすれば、
その人たちがこの時代におけるエルフの元ネタの可能性がある。
幾らかの文献から読み取るに、北欧神話時期のエルフには以下の要素がある。
『魔術に通じている』 『肌白く、見目がうるわしい』 『人と混血できる』
『人よりは神に近しい者たちだった』 『別に耳は長くない(´A`)』
『白いエルフと黒いエルフがいる』 『寿命が長い』
これを空想から現実に引き落とすと、
『占いや予知などの技能がある』 『美形の家系』 『子どもできるよ!』
『王族との縁がある一族』 『別に耳は長くない(´A`)』
『一族内で対となるふたつの家があった』 『前時代の信仰の名残』
とかなんとかなる。
仮に上記のような一族があったとして、それっぽい家の伝説はほとんど目にしない。
神話内でエルフの国がフレイの成人祝いとして贈られているあたり、
さほど力のある一族ではなかったと思うが……。
たぶん、これと似た家そのものは現実にあった。
なければ伝承として残ること自体が不自然だからだ。
これはもう言い切っていいと思う。
でも、それを確証できる材料は、ない!
だからこのメモは妄想です。
それを美化して記したものである。と、以前寄稿した同人誌に書いたことがある。
僕はこの考えをもとに、エルフの元ネタを日々探っているのだが、
今日はあるひとつの可能性を思い至った。
それは、エルフの元ネタは中世北欧に住んでいたひとつの一族だったのではないか、ということだ。
※エルフの元ネタといっても、北欧神話時代になってからのエルフのことを考えています。
ゲルマン起源のもっと古いエルフの元ネタなんかはわかりません。
なんでこれを今まで思いつかなかったのか我ながら不思議だ……。
考えてもみれば、アース神族にしろヴァナ神族にしろモチーフの一族があるのだから
エルフにも元となった一族があって然るべきである。
さて、その元となった一族を探るためのキーワードは“見立て”である。
300のクセルクセスではないが、北欧でも人物を神やその使者に見立てることがあった。
例として、フンディング殺しのヘルギは、家族に争いの種を持ち込んでしまった妻シグルーンに
『あなたはわたしたちにとってのヒルドだったのだ。王たちだとて運命には勝てぬ』
という慰めの言葉をかけている。
(ヒルドとはヴァルキューレのことで、その役割は戦士たちをヴァルハラ(あの世)に連れて行くこと)
ヘルギがシグルーンをヒルドに見立てたように、誰かしらからエルフと見立てられた者たちがいたとすれば、
その人たちがこの時代におけるエルフの元ネタの可能性がある。
幾らかの文献から読み取るに、北欧神話時期のエルフには以下の要素がある。
『魔術に通じている』 『肌白く、見目がうるわしい』 『人と混血できる』
『人よりは神に近しい者たちだった』 『別に耳は長くない(´A`)』
『白いエルフと黒いエルフがいる』 『寿命が長い』
これを空想から現実に引き落とすと、
『占いや予知などの技能がある』 『美形の家系』 『子どもできるよ!』
『王族との縁がある一族』 『別に耳は長くない(´A`)』
『一族内で対となるふたつの家があった』 『前時代の信仰の名残』
とかなんとかなる。
仮に上記のような一族があったとして、それっぽい家の伝説はほとんど目にしない。
神話内でエルフの国がフレイの成人祝いとして贈られているあたり、
さほど力のある一族ではなかったと思うが……。
たぶん、これと似た家そのものは現実にあった。
なければ伝承として残ること自体が不自然だからだ。
これはもう言い切っていいと思う。
でも、それを確証できる材料は、ない!
だからこのメモは妄想です。
古代北欧考察メモ1 - 2011.04.18 Mon
最近はブログの更新もすっかり途絶えてしまったので、
連絡宣伝&メモブログとして再生させることに……した!
ここはえびの自由帳だ。
今日資料を読んでいて気になったのは『古代北欧における善行と悪行の違い』。
古代北欧において、正当な略奪や殺人は合法であった。
武力をもってして他の集落を襲うならば合法。
互いに明確な殺人の意思をもって殺し合いをしたならば合法。
その結果として得た女を陵辱するのも、勝者にあるべき当然の権利だった。
だが、卑怯にも闇夜に乗じて人を殺したり、盗みを働くのは犯罪とされた。
つまり、略奪も殺人も『俺がこいつを殺した!』『俺があいつの物を奪った!』と、
行動のすべてを白日の元に晒すことがルールだったのである。
ヘルシング出身のハルトベンという巨人は、他国の王女や高貴な者を略奪し陵辱することを名誉としていた。
彼のやったことは戦士の流儀に反するものではないが、最後にはハルダンというイェートランド王家の血を引く勇士に鉄槌をくだされる。
ハルダンはこのハルトベンだけではなく、海賊行為に従事していた海の王や、
ある国の王女の貞操を決闘によって奪おうとしていた戦士グリモのチン棒を斬り落としたりした。
この一連の行動は、まるで悪行を働く不埒な輩を懲らしめているようである。
だが、このハルダンも当然のように略奪行為を行っている。
彼もハルトベンや海賊のように他国へ攻め入り、殺し、奪いしていた。
ところが彼の数々の功績は栄誉あるものとして残されている。
殺された彼らとハルダンの差は、勝者と敗者、ただそれだけだ。
ハルダンとて略奪した相手に復讐をされていれば、退治された悪鬼として後世に名を残しただろう。
自らの領地や家族を犯す者は悪であり、逆に奪えば正義となる。
理不尽を行いながら理不尽を許さない。
争いと血の時代に生きるものたちの正義は、奪う側、奪われる側、双方に等しくあったのだと思う。
ただ、そこまで暴力に行き着いた世界においても、むやみに女へおちんちんをぶち込む者と、
そうでない者の差はあっただろう。血よりは平和が望まれてもいただろう。
善と悪。それを最後にわけるものは、今も昔も、その人の心得次第なのではなかろうか。
連絡宣伝&メモブログとして再生させることに……した!
ここはえびの自由帳だ。
今日資料を読んでいて気になったのは『古代北欧における善行と悪行の違い』。
古代北欧において、正当な略奪や殺人は合法であった。
武力をもってして他の集落を襲うならば合法。
互いに明確な殺人の意思をもって殺し合いをしたならば合法。
その結果として得た女を陵辱するのも、勝者にあるべき当然の権利だった。
だが、卑怯にも闇夜に乗じて人を殺したり、盗みを働くのは犯罪とされた。
つまり、略奪も殺人も『俺がこいつを殺した!』『俺があいつの物を奪った!』と、
行動のすべてを白日の元に晒すことがルールだったのである。
ヘルシング出身のハルトベンという巨人は、他国の王女や高貴な者を略奪し陵辱することを名誉としていた。
彼のやったことは戦士の流儀に反するものではないが、最後にはハルダンというイェートランド王家の血を引く勇士に鉄槌をくだされる。
ハルダンはこのハルトベンだけではなく、海賊行為に従事していた海の王や、
ある国の王女の貞操を決闘によって奪おうとしていた戦士グリモのチン棒を斬り落としたりした。
この一連の行動は、まるで悪行を働く不埒な輩を懲らしめているようである。
だが、このハルダンも当然のように略奪行為を行っている。
彼もハルトベンや海賊のように他国へ攻め入り、殺し、奪いしていた。
ところが彼の数々の功績は栄誉あるものとして残されている。
殺された彼らとハルダンの差は、勝者と敗者、ただそれだけだ。
ハルダンとて略奪した相手に復讐をされていれば、退治された悪鬼として後世に名を残しただろう。
自らの領地や家族を犯す者は悪であり、逆に奪えば正義となる。
理不尽を行いながら理不尽を許さない。
争いと血の時代に生きるものたちの正義は、奪う側、奪われる側、双方に等しくあったのだと思う。
ただ、そこまで暴力に行き着いた世界においても、むやみに女へおちんちんをぶち込む者と、
そうでない者の差はあっただろう。血よりは平和が望まれてもいただろう。
善と悪。それを最後にわけるものは、今も昔も、その人の心得次第なのではなかろうか。